Frequency Biology Project

高速行動解析と粒子センシングが拓く海洋環境の新観測
資源やエネルギーは、誰にとっても生活に不可欠なものです。これまで陸上資源はアクセスの容易さから優先的に開発されてきましたが、今後は未開発資源が豊富に眠る海洋への関心が一層高まっています。しかし、深海のようなアクセスが困難な領域では生態系や炭素循環への影響についての科学的知見は十分とは言えません。なぜならば、観測が難しいからです。
深海は、地球上でも最も過酷で観測の難しい環境のひとつです。水深が深くなるにつれて水圧は急激に増大し、機器やセンサーはそれに耐えられる堅牢な構造でなければ動作しません。さらに水温は2〜4℃と極めて低く、電子機器やバッテリー性能にも大きな影響を及ぼします。また、海中では長距離を電波も光も伝わりにくく、地上のような通信インフラはまったく期待できません。ほとんどの深海域は環境光が遮断されており、太陽光が届かない暗闇が広がっています。そのため観察には人工照明が不可欠で、結果として電力消費や機器への負荷が増します。観測の実施には、深海探査用のリモート制御の潜水艇(ROV等)などの専門機材、さらにそれらを展開するための観測船や熟練スタッフが必要ですが、その運用費は非常に高額です。広大な海洋全体をこれらの方法で網羅的に探査することは現実的には不可能です。さらに、海況が悪ければそもそも観測船が出航できず、観測そのものが中断されることもあります。このように、高圧・低温・暗闇・通信困難・アクセス制限・高コスト・長期稼働の要求が複合的に重なるため、深海の観測はきわめて挑戦的な取り組みとなっています。
新たな行動生物学「Frequency Biology」
私は、深海という厳しい観測条件下でも、環境変化に敏感なプランクトンや底生生物の行動や生産量の変化を先端センサー技術によって捉えることで、海底環境の変動を検出できるのではないかと考えました。実際に、採取したプランクトンを水槽で観察した際、種ごとに異なる運動パターンを示すことに気づきました。プランクトンだけでなく昆虫も含む微小生物は人間の感覚を大きく超える速度で活動し、1秒間に数十〜数百回の動作を繰り返します。こうした高速運動は肉眼では捉えることができませんが、AIと高速センサーを組み合わせることで、ミリ秒単位の行動把握が可能であることが分かりました。
この「微小生物の動き」という視点から、新たな行動生物学の概念「Frequency Biology」を提唱しました。Frequency Biologyでは、生物が繰り返し行う運動の“周波数”に着目し、従来手法では見落とされてきた微小生物の特徴的な行動パターンを解析します。これは、海洋環境変化を高精度で評価する新たな指標として期待されています。
具体的には、イベントベース・ビジョンセンサー(EVS)を用いることで、海中浮遊粒子の高速・高感度な直接計測を実現しました。EVSは画素ごとの輝度変化のみを非同期で出力し、フレーム同期なしで毎秒1万コマ相当の高速取得を可能にします。その結果、従来の高速度カメラと同等の時間分解能を、わずか200 MB〜1 GB/分という低データ量で達成しました。海中実験では、1分間に5,000個以上の粒子を計測し、粒径分布や流速・流向解析に加えて、生物粒子の分類やバイオマス推定の可能性も示しています。また、従来比で消費電力を10分の1以下に抑えることにも成功し、長期無人観測への応用も視野に入っています。国際海底機構(ISA)では、資源採取の前・中・後にわたる継続的な環境モニタリングが義務付けられており、本技術は、これらの要件を満たす現場適用可能なモニタリング技術としての活用が期待されています。
生物/非生物を超えて
海底環境の測定に活用される 微粒子の動き
さらに、本プロジェクトでは生物・非生物を超えて、微粒子の動きを追うことを行っています。その1つとして注目しているのが”プルーム”です。
海底資源開発の現場では、採掘作業に伴い人為的なプルーム(微細粒子の雲)が発生します。採掘機が海底堆積物を巻き上げることで、このプルームは潮流に運ばれて周囲へと拡散します。こうしたプルームを現場で観測することは、深海採掘が生態系を含む環境にどの程度の影響を与えるのかを評価するための中核的データとなります。
さらに、プルーム内の粒子特性を計測することで、どの程度の時間浮遊が続くのかといった“影響の時間スケール”の推定が可能になります。海流に漂う微小粒子を正確に捉えるには、高速記録が可能な先端センサーが不可欠です。得られた計測データは、環境負荷を最小化する採掘技術の開発に資するだけでなく、海底採掘に関する国際的な基準づくりのための重要な参照データにもなります。

研究展開
本研究は養殖における仔魚・餌料プランクトン解析、マリンスノー[ST1.1]を介した炭素循環研究など、海中で粒子や微小生物の動きを直接捉える必要がある幅広い分野に応用できます。
Frequency Biologyの本質的な価値は、これまで「見えにくかった海中の動き」を、EVSによって直接・高速・低負荷に可視化する点にあります。濃度や存在量だけでなく、粒子や微小生物がどのように動いているのかを測ることで、海洋環境の理解、産業利用の安全性向上、環境影響評価、そして持続可能な海洋利用に貢献する新しい観測基盤の構築を目指しています。
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